昨日はWSのあと観劇へ。
自分では「物事の解釈を深めた」
と思っていても、違う見方を受容できないようでは「解釈を深めた」のではなく「解釈を狭めた」だけになってしまうのかもしれない。
そんなことを考えた一日でした。
個人的には特に、その解釈が自分にとって魅力的であればあるほど、はまり込み狭まっていく危険性を持っている可能性が高いように思います。
その魅力的な解釈が他人から授かったもの、それを鵜呑みにしただけのもの、であった時もよろしくなさそう。
自分にとっての魅力的な解釈を持ちつつ、解釈の多様性を受容できるように。
なれたらいいなぁ、と思います。
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